第1回目に紹介するのは、世界のファッションリーダー、洒落男の代名詞、様々なファッションを
作り上げた人物であり、世界中の話題をさらった「世紀の恋」など、とにかく、
話題に事欠かない人物です。
現代、メンズファッションに大きな影響を与えた20世紀最大の功労者です。
その名は、
ウィンザー公
です。エドワード8世とも呼ばれていますね。その名の通り、ウィンザー公は、国王なんです!
国王というか、元国王ですね!
出典ーGQJAPAN編集部ーhttps://www.gqjapan.jp/fashion/wardrobe/20131120/style-essential-126
【ウィンザー公】1894年6月23日~1972年5月28日
1894年ジョージ5世とメアリー妃の第一子として生まれ、厳しい教育を受け、海軍兵学校に通い、後に
オックスフォード大学にも通っています。大学では、一転、ヨーロッパ屈指のプレイボーイと言われる
ほど、奔放な生活をしたとされています。
1936年、42歳の時に独身のまま「エドワード8世」として王位を継承しました。
そして、女性との恋を優先して1年たたずに退位を決意してます。
奔放ですのぉう。
それでは、そんなウィンザー公が、流行らせたり、編み出したりして、
ファッション界へ残した功績を見ていきましょう。
イングリッシュ・ドレープ・スーツ
1920年とか30年くらいのスーツというと、コートみたいな、割とピタッとしている感じのものでしたが、
ウィンザー公が、胸元や袖ぐりにドレープ、つまり余裕を持たせた立体感のあるスーツを好んで着た事に
より、そのスーツがアメリカやイギリスで大流行し、イングリッシュ・ドレープ・スーツと呼ばれていた
そうです。現在のスーツの源流ですね。それまでは、スーツのフロントボタンを全部かけることが
主流だったそうですが、立体感を出すために、3つボタンの2つがけ、2つボタンの1つがけというものが
このタイミングでスタートしたそうです。つまり、現在のスーツのボタン掛けもウィンザー公の影響が
少なからずあるという事ですね。
ウィンザーカラーシャツ
今では、誰しもが1着くらいは持っているワイドスプレッドカラーのシャツの事ですね。
ウィンザー公は、当時珍しく襟の大きなシャツを好んで着ていたそうで、ウインザー公の名前に
因んで、ウィンザーカラーシャツと呼ばれるようになり、大流行をしたそうです。
日本の昭和の早い時代のサラリーマンは、よくワイドスプレッドカラーのシャツを着ていたことを
考えると、長い間、相当流行っていたんだという事も考えられますよね。
ウィンザーノット
ネクタイの結び方のあの若干ややこしいやつです。三角になるやつです。
あれも、ウィンザー公が、その結び方をよくしていたからと言われています。
本人は否定しているとの事ですが、ウインザーカラーをよく着用していたってことを考えると
あながち、そうなんじゃないかと思いますよね。
ウィンザーカラーのシャツには、ウィンザーノットって、洋服の雑誌等によく記載されていましたしね。
ダブルモンクシューズ
イタリア靴のダブルモンクですが、これもウィンザー公の仕業らしいです!
ダブルモンクとは、モンクストラップが、2本取り付けられた革靴です。ウィンザー公が、ジョンロブに
別注をかけたものが起源だと言われています。
流石、ウィンザー公、なかなかジョンロブに別注はかけられませんよね。
グレンチェック
いわゆる、スコットランドのグレナカートチェックの略称と呼ばれるグレンチェックですが、
小さな格子が集まって、大きな格子を作りあげてるあの柄です。
中学生くらいの時、やたら欲しくなったりしますよね。
あのグレンチェック柄ですが、ウィンザー公が好んで着ていたこともあって、この柄の事を
プリンス・オブ・ウェールズと言うそうです。
アメリカントラッド
まさかのアメリカントラッドって、でかすぎやしないかと思ったんですが、
1924年にアメリカを初めて訪れた際に、アメリカの人々は、ウィンザー公の着こなしを見て、
アメリカのトラッドメーカーが影響を受けたとも言われています。
ゴルフセーター
今でこそ、プロゴルファーが寒い時期になるとセーターを着てプレイするのは、あまり前のことですが、
当時は、普段着としてしかセーターを着用せず、ゴルフに着ていくことはなかったそうです。
当時、ゴルフ場に、ウィンザー公がフェアアイルセーターを着て颯爽と現れたことで、大ブームを
巻き起こしたらしいです。
燕尾服に合わせる白いシャツ
夜間の正装である燕尾服の下に着る白いシャツがあるじゃないですか。
これは、昔はちょっと長めだったそうですが、ウィンザー公は、自分好みの短さの物を堂々と
着用したそうです。現在は、短いものが主流ですよね。これを皇太子時代に行ったそうです。
ファッションの基本である、自分の好きな物を着るという行為が、
若い時代から根付いていたと言えますよね。
ダブルの裾
ウィンザー公が、とあるレースを感染する時に、パナマ帽とコンビのローファーで現れたことが
大いに話題になったそうだが、スーツのパンツの裾を雨で裾が汚れないように折っていたことが
大流行し、ダブル裾が流行ってしまったそうでもあります。
※ウィンザー公は、その他にも、タブカラーのシャツ、ベレー帽、バックスキンのシューズなど
様々な物や着方を流行らせているそうです。
世紀の恋
そんな、我が道を行く系のバリバリの洒落乙魔人のウィンザー公ですが、彼を有名にした出来事が
あります。それが、いわゆる世紀の恋です。
「私は自分が愛した女性の助けと支えなしには、国王としての重責と義務とを、
自らがそうしたいと望むように担い、また果たすことは不可能なのです」
これは1936年12月11日午後10時、当時42歳だったウィンザー公が、BBCのラジオを通じて国民に
自らの気持ちを伝えた言葉です。これは、ウィンザー公の退位演説でした。
ラジオで言うって凄いですね!!!!
どういうことかと言うと、ウインザー公は、2歳歳下の、離婚歴のあるロンドンの社交界の花形でもあった
ウォリス・シンプソンに恋をしてしまったのです。しかも、既婚者です!しかも友人の奥さんです!
(※今の日本だと相当なセンテンススプリングですよね!)
ウィンザー公は、彼女との結婚を望みましたが、周囲は大反対でしたが、(当たり前です!!!!)
ゴリゴリで退位し、彼女は離婚、その後結婚。略奪婚ですね。
このことは、「王冠を賭けた恋」として世界的な話題を呼んだそうです。
そりゃそうですよね!
いかがでしたでしょうか?稀代の洒落男のウィンザー公。
ウィンザー公は、ファッションでも恋愛でも型破りというか、我が道をいくというか・・・
でも、己の好きな道を行くという人間としての根本的なカッコ良さがあるんでしょうね。
自分には出来ないと思いますが、やるべきこと、己の道を行くことが大事だなぁ~と思いました。
ファッション界のスーパースターのスタイルを体に入れて、明日からもスタイリング、そして
ライフスタイリングもしていきたいと思います!!!
最後までお付き合いありがとうございました。
※ここで書かれていることは、事実に基づいて記載していますが、情報が不確かなものも
ございますので何卒ご了承ください。
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