時は、1981年。
今から40年以上前の出来事です。
パリでおこなわれたコレクションにおいて、二人の日本人デザイナーがデビューしました。
あのジャパニーズレジェンドデザイナー、
ヨウジヤマモト・山本耀司さん、コムデギャルソン・川久保玲さんのお二人です。
お二人とも38歳とか39歳でパリコレデビューを果たしております。
結構、若いですよね!
出典:FASIHON PRESS https://www.fashion-press.net/news/44371
黒の衝撃とは
では、その黒の衝撃とは、何かって言うと、
1981年から82年にかけて、お二人のパリコレでの作品が、黒い色の服を全面に打ち出したもので、
形は、その当時主流となっていたボディコンシャスなものではなく、体のラインを出さない、
ダボっとしたシルエットでアシンメトリー、かつ、ダメージ加工というか、穴空きというか
明らかに、その当時の煌びやかな西洋にはないスタイルでショーにうってでたそうです。
当時、西洋では、黒という色は、タブーな色だったそうで、東からの「黒の衝撃」と言われたそうです。
それどころか、「原爆ルック」と呼ばれたほどだそうです。
「爆弾でボロボロになったような服」「核戦争で生き残った人の服」
などどメディアに批評が取り上げられるほどだったそうで、たくさんの議論が行われた
などどメディアに批評が取り上げられるほどだったそうで、たくさんの議論が行われた
そうです。凄い言われ方してますよね。
端的に言うと、このことが、黒の衝撃といわれる出来事です。
時代背景
1960年代、70年代は、フラワーチルドレンだのヒッピーだのパンクだの、戦争だのなんだのと、
社会情勢は不安定で、大衆のファッションも反体制的な香りが漂うものが増えてきています。
そんな中、華やかなコレクションの世界では、オートクチュール(オーダー)から
プレタポルテ(既製服)が主流になり、ケンゾーやイッセイミヤケがパリにも
進出していき、日本人デザイナーが台頭しはじめた頃でした。
ケンゾーやイッセイミヤケは、西洋的な華やかなカラーやデザインで勝負をしていました。
そういう時代に、お二人は、前衛的で新しいファッションで、世界に勝負をかけたことになります。
二人の成功
欧州の否定的なメディアに対して、肯定的なメディアや意見も多く、
二人のデザイナーとしての成功には、それほど時間はかかりませんでした。
これまで西洋ではタブーといわれた黒いカラーを、美しいという価値観にまで持ち上げた
とか、既存の美意識をうち破るべく作り上げられたデザインとか、社会に対する反骨精神
とか、様々な賛美を浴びるようになり、日本的な感性の代表みたいなことも言われています。
その様な事を経て、二人は、一流デザイナーへの階段を駆け上がっていきます。
日本では
日本では、熱狂的なファンが、カラス族と言って、上から下までみんな黒、靴も黒
みたいなスタイリングをして闊歩していました。
そのタイミングあたりで、日本はDCブランドブームに突入し、
そのDCブラントの中の一つの軍団、流派がカラス族だとも言えると思います。
つまり、数多いDCブランドの中で、ヨウジヤマモトとかワイズとか、コムデギャルソン
を全身で好んで着る人たちが、カラス族だったのでしょうね。
そういえば、当時、そのような人々がいましたね。
1980年代中盤、DCブームの中のひとつのカテゴリーみたいな感じで存在していました。
カラス族
1980年中盤から後半にかけで、当時のカラス族は、コムデギャルソンとか、ワイズとか
ヨウジヤマモトのハウスマヌカンとか美容室で務める人などは、カラス族確定でしたね。
そして、ビジュアル系と呼ばれるバンドの方々もカラス系が多かったです。
割と1980年代の最初からカラス族の方々は、長くカラスを続けている感じでした。
一度入信してしまうと、中々、抜けられないんでしょうね。いい意味で。
黒の軍団の変化
そんな風に日本で確固たる地位を固めた、黒の軍団ですが、変化が訪れます。
1980年代の後半にさしかかると、少しダサめな雰囲気すらあったことを覚えています。
雑誌でも、そのように描かれていました。
これは、一重に、DCブランドブームの終焉も影響していると考えられます。
ファクトリーインポートブランドの台頭やアメカジ時代到来によって、黒の軍団の
数は少しずつ減っていきました。
それに加えて、コムデギャルソンとかヨウジヤマモトが悪いわけでもなく、全て黒づくめの
スタイリングって、何も考えていない感じと、ブランド依存している感じが世の中から
少し、距離を置かれた原因なんでしょうね。
そして、この黒の軍団がいわゆる「モード系」と言われる人々の出発点となって
いったと考えられますね。
黒の衝撃・違和感
黒の衝撃について、素直に考えてみると、いくつか腑におちない点があるんですよね。
・当時、西洋で忌み嫌われていた黒を二人は使ったわけですが、そんなに忌み嫌われて
いたんですかね。
巷では、パンクファッションとか黒を使ったファッションも多く存在していましたし、
なんなら、かつてココシャネルが黒を使ってショーをしていたそうですし、そんな忌み嫌われる
存在だったんですかね。黒って。喪服的感覚なんですかね。当時の西洋の感じは、よくわかんないです。
・もし、そんなに忌み嫌われていたんだとしたら、カウンターとして、他のデザイナーが、
その黒を使って服を作ってやろうって思わないもんですかね。
中世以前、西洋で、黒い服は、貧しさとか醜さに象徴だったそうです。
そんな中で、黒は勤勉さの色になったり、ブルジョワジーの象徴の色になったり、憂鬱さの象徴に
なったりと、示す意味合いがコロッコロ変わっていったらしいです。つまり固定的に、黒は悪い色
って決まっていたわけではないらしいんですよ。そうなると、世界のファッションクリエイトの中で、
優秀な方がたくさんいるのであれば、黒を使って勝負しようって思うデザイナーいそうですよね。
・なぜ、日本の二人が、同じタイミングで、同じ黒を使ったのでしょう。
山本耀司さんと川久保玲さんは、同じ慶応大学出身で、年も近いので示し合わせていた
とかはないでしょうけど、よくわかりませんよね。
そしてお二人の恋人説とかもありますよね。
※お二人は、セツ・モードセミナーを卒業していますね。ここも一緒です!
いずれにしてもよくわかりませんね。
個人的な黒への接し方
まあ、当時西洋では、黒に対するタブー感があったと仮定して、自分のことを考えると
タブー感は全くないですけど、どちらかというと、あまり黒は使わないですね。
黒のワントーンで意識してまとめることはありますけど、それは、黒じゃない
スニーカーだったりを浮かび上がらせるための黒使いみたいな感じが多いですね。
黒の持つイメージが強すぎるのがちょっと遠慮する原因かもですね。
あと、黒って、素材感の違いが目視で分かりづらいのも遠慮する原因ですね。
とはいえ、そんなに遠慮もしてないですが・・・
そして、なんなら、黒の革靴は、ほとんど持っていませんでしたね。
ほとんど茶色でした。ここ5年くらいで黒の靴を履きますけど、以前は茶色
しかなかったですね。まあ、これは、黒の靴より茶の靴の方が雰囲気が出しやすい
からですかね。
まあ、完全無欠に個人的な感想ですけどね・・・
まあ、そういうこともあって、正直、コムデギャルソンとか、ヨウジヤマモトとか、
自分が着る服というかスタイリングで参考にしたりとかはこれまで、全くなかったです。
ちょっと、DCブランド感が自分の中に残っていたからってのもあります。
今は、DC感ないですよね。コムデギャルソンなんか全くないです。
あ、バッグ持ってました。なんかいいなと思って数年前に買いました。
ビニール感とモード感があって、自分のスタイリングに合わせると違和感が
でてかっこいいなーって、おもうたんですよね。
これが唯一持つ、コムデギャルソンの製品ですわ!!!!!
黒の衝撃まとめ
黒の衝撃については、色々とわかない事もありますが、山本耀司と川久保玲
という日本の偉大なデザイナーが、西洋のファッションシーンに衝撃を
与えた出来事ですので、話としてはいい話ですよね。
川久保玲のコムデギャルソンにしても、山本耀司のヨウジヤマモトにしても
1980年初頭から40年以上前線を突っ走っており、特に、コムデギャルソン
なんかは、もう、完全に最前線の先頭を走っていますよね。
先ほども書きましたが、もはや、DCブランド感など全くなく、完全に
日本を代表するブランドですよね。
もはや、カラス感は全くないですもんね。ギャルソンは。
コムデギャルソンのブランド力は、1980年代初頭から、熟成され、現在は
最も大きなものになっていると思います。
そして、コムデギャルソン出身のデザイナーたちも、kolorの阿部潤一さんを
はじめ、sakaiの阿部千登勢さん、FUMITO GUNRYUの丸龍文人さんなど
その他にもたくさんいます。ちょっとヤバいレベルでいます。
まとめると、黒の衝撃があって、川久保玲さんがいて、現在の日本のファッションが
作り上げられているといっても過言ではないと思います。
じゃあ、自分がコムデギャルソンの服を着るのかというと、物によって着たり
着なかったりだと思います。
でも、近いうちに、黒の衝撃のコムデギャルソンの黒い服に挑戦してみたいと思います!
最後までお付き合いありがとうございました。
※ここで書かれていることは、事実に基づいて記載していますが、情報が不確かなものも
ございます。また、個人の感想が中心ですので、何卒ご了承ください。
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